労働と報酬は等価交換されるとは限らない
労働について(内田樹の研究室)より
http://blog.tatsuru.com/2008/06/07_0758.php
> 当今の方々は「労働」と「報酬」が等価交換されるという図式で労
> 働を捉えている。ならば、雇用する側は「どうやって報酬を引き下
> げるか」を考えるし、雇用される側は「どうやって苦役を軽減する
> か」を考える。そうなるほかない。そういうつもりの人間たちが集
> まって仕事をしても、ぜんぜん楽しくない。「働くモチベーション
> が下がる」のは当たり前である。労働と報酬は「相関すべきであ
> る」というのは表面的にはきわめて整合的な主張のように見えるが、
> 実際には前件の立て方が間違っている。等価交換論の前件は「労働
> 者はできるだけ少ない労働で多くの報酬を得ようとし、雇用者はで
> きるだけ少ない報酬で多くの労働力を買おうとする」というもので
> ある。(中略)
>
> 労働は「オーバーアチーブ」を志向する。飢えが満たされても満た
> されないのである。もっと働きたいのである。(中略)
>
> だから、労働と報酬の等価交換が成り立つべきだという「整合的
> な」理説で労働を説明することはできない。その等式を実現するた
> めに人は労働するのではないからである。(中略)
> 私は自分がどうして今こんなところでこんな仕事をしているのか、
> その理由を知らない。
>
> きっかけは私が(ちょっとばかり)望んだことだけれど、後のほと
> んどは私のコントロールしえない力に押し流されてのことである。
> もし、仕事をすることが「自分は自分の生の主宰者ではない」とい
> う事実を端的に思い知らされる経験であるとしたら、それはほとん
> ど信仰に似ている。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)


最近のコメント