内田樹「被害者でなくなるためには、被害者であることを止めよ」
タイトルの要約が間違っていなければいいんだけど。
「内田樹の研究室」の「被害者の呪い」より。
http://blog.tatsuru.com/2008/05/13_1156.php
> 病とはある状態に「居着く」ことである。(中略)「強大な何か」
> によって私は自由を失い、可能性の開花を阻まれ、「自分らしくあ
> ること」を許されていない、という文型で自分の現状を一度説明し
> てしまった人間は、その説明に「居着く」ことになる。
> もし「私」がこの説明を足がかりにして、何らかの行動を起こし、
> 自由を回復し、可能性を開花させ、「自分らしさ」を実現した場合、
> その「強大なる何か」は別にそれほど強大ではなかったということ
> になる。これは前件に背馳する。
> それゆえ、一度この説明を採用した人間は、自分の「自己回復」の
> すべての努力がことごとく水泡に帰すほどに「強大なる何か」が強
> 大であり、遍在的であり、全能であることを無意識のうちに願うよ
> うになる。
耳が痛い。
「あのときのあれが原因で、私はダメになったんだ」という言い回しは、
麻薬である。
仕事がうまくいかなくても、貯金がなくても、
異性にもてなくても、結婚できなくても、
ブログのアクセスが上がらなくても、
「ああいうことがあったから、俺ってダメなんだ」
「あのことさえなければ、私の人生は変わっていたのに」
と繰り返すことによって、自分を納得させることができる。
何を原因にするかは、人によって異なる。
失恋、解雇、受験での失敗、兄弟や親子間での確執、
幼少期のトラウマ、病気、事故、いろいろ考えられる。
ワシは昔、子供の頃の親の接し方を、
自分が社会生活で苦しんでいる原因に挙げていた。
ありのままの自分を認めらもらえないから、
他人に認めてもらうために頑張ることしかできない人間になった、とか、
一番目の子供だったから、ちゃんと主張しなくても、
いろんなことをしてくれたから、自分の意見を他人に対して
主張するのが下手になった、とか。これは、ちょっとやりすぎか(笑)
まあ、ワシが自分で究明した原因は、それなりにあたっていると思う。
つまり、親が悪い。
しかし、だ。
親を責めても仕方ない。
その原因がなければ、何もかもうまくいったのか。
苦しみの原因があったからこそ、得られた何かがないのか。
そして、その苦しみに今とらわれていることが、
自分自身のためになるのか。
> 自分の不幸を説明する仮説の正しさを証明することに熱中している
> うちに、その人は「自分がどのような手段によっても救済されるこ
> とがないほどに不幸である」ことを願うようになる。
とても耳が痛い。
ワシのできることは何だろうか。
とりあえず、できるだけ「居着く」ことを避けようと思う。
「どうせワシは○○○な人間だから、
こういう事態になるのが当たり前だ」というディスクールは避けよう。
頑張った結果、うまくいったりいかなかったり、
楽しかったり苦しかったりするのが、
生きていること、なんだろうな。
まあ、苦しい方が大きいようにいつも見えてしまうわけだけど。
| 固定リンク
「心と体」カテゴリの記事
- 疲れたときに休むだけなのは逆効果(2008.07.29)
- 子供でもセックスはできるけど、正しくとらえるのは無理だね(2008.07.23)
- 悪いストレスをためないように、ね(2008.07.17)
- 人は理由もなく生き、そして死んでいく(2008.06.27)
- 新種の鬱(うつ)?(2008.06.26)

コメント